ホーム > 新着情報 > 感動する話 > ピーターノーマン・メキシコオリンピックの表彰台での秘話とは?泣きたい人必見

新着情報

ピーターノーマン・メキシコオリンピックの表彰台での秘話とは?泣きたい人必見

 

ピーターノーマンの人生に涙した。しんねんをつらぬく生きざまに、共感。泣きたい人、悩んでいる人ぜひ読んでください。

ピーターノーマン.jpg

ピーターノーマン・メキシコオリンピックの表彰台での秘話とは?自分の信念を貫きたい人必見

 

メキシコオンリンピック陸上200メートル銀メダリスト、ピーターノーマンを知っていますか?
 

名誉を捨て人種差別と闘った銀メダリスト


 

1968年にメキシコオリンピックが開催された。


当時、世界は白人主義が主流で、黒人や黄色人種に対する差別が色濃く残っていた。特に移民が多いアメリカや旧植民地諸国では一部の白人が優遇され、黒人や黄色人種は厳しい立場に追いやられていた。

 

 メキシコオリンピックにて

 

メキシコオリンピック男子陸上200メートル。アメリカ出身の黒人選手が1位と3位になった。

 

その表彰台にて、後に大きな波紋を呼ぶ出来事が発生した。

 

1位と3位になった、黒人選手は表彰台にて黒い手袋をはめて、腕を突き上げた。この行為は人種差別反対を訴えるパフォーマンスである。


しかし、オリンピックの政治利用は禁止行為、人種差別反対を訴えるパフォーマンスは政治利用にあてはまる。


1位と3位の黒人選手は、その後、オンリンピック資格を失い、壮絶な人生が待ち受けていた。


だがそれ以上に壮絶な運命を歩む男がいた。


それは一見何もしてない様に見えるオーストラリア出身の白人、2位のピーターノーマンであった。
 

 

 ピーターノーマンの人生


オーストラリアで生まれた。


当時のオーストラリアはアメリカと同様に白人主義が主流で有色人種は差別の対象になっていた。特に、オーストラリアでは先住民族アボリジに対する差別が横行していた。

 

「人間は肌の色や生まれた場所なんか関係ないみんな平等」

 

これはピーターノーマンの父の言葉であった。人種差別を反対していた父。

 

ピーターノーマン本人も人種差別の不合理さに気づき、人間は肌の色で区別されるものでないと考えていた。

 

人種差別を撲滅したい。

 

この思いが、ピーターノーマンの信念となった。

 

メキシコオンリンピックの男子決勝、1位にはトミー・スミス、3位はジョン・カーロス、2人は黒人のアメリカ選手であった。

 

アメリカもまた、オーストラリアと同じく、白人による有色人種の差別が横行していた。


オンリンピックの表彰台は世界が注目する大舞台。


ここで、人種差別を訴える事を決めたトミー・スミスとジョン・カーロスであった。しかし、オリンピックの政治利用は禁止行為にあたる。最悪、陸上会から永久追放もあり得る行為。だが、それでも、やると決断したトミー・スミスとジョン・カーロス。


トミー・スミスとジョン・カーロスの企みを知るピーターノーマン
 

 

 ピーターノーマンの取った行動とは

自分の信念にうそをつかない行動。

人生差別反対の意思を貫く事。

 

ピーターノーマンの答えは決まっていた。


ピーターノーマンは表彰台にあるバッチをつけて参加した。トミー・スミスとジョン・カーロスと同じバッチを付けて表彰谷に臨んだ。人種差別反対を表明する団体のバッチ。
 

ピーターノーマンもまた、トミー・スミスとジョン・カーロスに共鳴したのである。
 

自分の名誉よりも信念を貫いたピーターノーマン。

 

しかし、その代償は大きかった。過酷な運命が彼を待ち受けていた。

彼の信念は、白人主義のオーストラリアではうけ入れられるものでは無かった。メディアからの誹謗中傷、さらには脅迫。その後、結果を残してもオリンピックの代表に選ばれる事は無く、事実上引退を余儀なくされた。

 

 

 ピーターノーマンの甥

ピーターノーマンには甥がいた。

 

叔父の自宅に置いている、オリンピックの銀メダル。甥にとって、オリンピックで銀メダルを獲得した叔父は憧れであった。

 

しかし、学校で叔父の事を自慢するも、誰一人として知る人は居なかった。そう、オリンピック銀メダリストという、ピーターノーマンの輝かしい栄光は忘れ去られたのである。

 

オリンピック銀メダリストという輝かしい栄光が、なぜ人々から忘れ去られたのか、甥は疑問でならなかった。

 

人種差別反対を表明し名誉よりも信念を選んだピーターノーマン。その、真実を知った時、甥は何を思ったのだろうか。

 

 

 表彰台の銅像

時代も進み世の中は人種差別を反対する意見が主流になりつつあった。そして、トミー・スミスとジョン・カーロスの名誉が回復された。

 

そんな中、人種差別撤廃のシンボルとして、メキシコリンピック男子200メートルでの表彰台の様子がアメリカで銅像になった。

 

しかし、表彰台の2位の位置は空席であった。そこには、あるはずのピーターノーマンの銅像はだけが無かった。

 

だが、それはピーターノーマンの意志であった。表彰台の2位の位置が空席なら、銅像を見に来た人たちは、2位の位置に立つだろう。

 

その時、何を感じるのか。

 

自分ならどうするのか考えて欲しいと。

 

2位の表彰台には

 

TAKE  A  STAND

 

と書かれている。ここでも、ピーターノーマンは自身の名誉回復よりも、自分の信念を貫いたのである。

 

 

 ピーターノーマンの名誉と栄光

ピーターノーマンの栄光は葬り去られたかに見えた。
 

しかし、ピーターノーマンの栄光は世間に知られるようになった。それは、ピーターノーマンの人生を映画化したことがきっかけである。ピーターノーマンの人生に共感し、彼の名誉を回復したいと願う、1人の強い意志が映画化につながった。

 

彼の名誉を回復したいと願ったのは、映画監督マットノーマンであった。そう、映画監督マットノーマンはピーターノーマンの甥である。

 

しかし、映画が完成された時にはピーターノーマンはこの世を去っていた。その後、オーストラリア議会はピーターノーマンに謝罪。


ピーターノーマンの死後に彼の名誉は回復された。

 

名誉を捨てて、自分を貫いたピーターノーマンの生き方に感動した。

利益よりも信念、私もピーターノーマンの様になりたいと思った。


感動する話   2017/09/06   work
タグ:スポーツ

この記事へのコメント

コメントを送る

 
※ メールは公開されません
Loading...
 画像の文字を入力してください